台湾にいなかった10年

By | 2015/06/22

初めて台湾を2週間以上出たのは2005年の11月頃だった。姉が甥を生んだ10月にちょっと世話して安定したらニュージーランドに立った。

24歳のごろだった。

ニュージーランドで3ヶ月のワーキングホリデーが終わったら台湾で2週間ほど荷物を入れ換え、日本に留学に行った。

これで日本に8年と4ヶ月滞在し、フィンランドに1年住んだ。

あっという間に台湾を出てからもうすぐ10年が経つ。

早いね。時の流れって。

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10年間住んでないとは言え、一年か二年ごとに戻ってきてはいる。

まだまだのところはまたたくさんあるが、進んだところや変化しているところも確実に感じている。

この十年間、台北には地下鉄のルートが増え、既存ルートの延長、接続など完全な交通ネットワークが形成された。

第2の都市である台湾の南にある高雄には十字になる二本の地下鉄が建設され、在来線、新幹線、国際空港、観光地を繋げ、都市機能が大幅に向上した。

第3の都市の台中は今地下鉄を建設している最中。

私の出身地である台南には地下鉄がないが、バスシステムが大幅に改善され、ルートが分かりやすくなり、非接触式の電子マネーシステムの導入に加え、ネットで接近中のバスが今どこにいるか、何分後に到着するかを確認することができる。

しかも、運転手さんはお客様に挨拶したり、お客様が運転手さんにお礼を言ったりするようになり、国民の礼儀がよくなったことに誇りを感じた。

2008年に南北を2時間で繋ぐ高速鉄道が開通し、交通の動脈となり、高速バスの値下げなど利用者に嬉しい効果ももたらした。

九州ほどの面積しかないが、南北を繋ぐ高速道路が二本あり、電車ルート一本に加え、高速鉄道もある。

空港の国際化も進んでいる。
高雄から東京や大阪への直行便、台南から香港や大阪、各都市から中国の主要都市など新設ルートがたくさん。

なかなか便利になってきた。

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食文化も相変わらずすごい。

美味しいものは残ってるし、新しい食べ物がどんどん開発される。

しかし、なかなかうまくできないところもまだたくさんある。

職場の残業問題、平均所得の低下、食安全の不安、産業発展に対する政策の無力など。

あと、灼熱地獄というどうしようもない気候(笑)

私は台湾が更に進むことを期待しているし、台湾に住んで直接貢献することを望んでいなくても海外から台湾の役に立つことをやりたい。

台湾、一緒に頑張ろう!

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