あっという間に6月ももうすぐ終わってしまう。
気づけばブログ記事はもう1か月も書いていない。
フィンランド国内ではおおむね平常通りになっていますが、コロナウィルスの影響で日本との国境はまだ開いていない。
そのため、キートスショップの主要事業である日本人向け観光事業もまだ止まったまま。
しかし、ポジティブに考えると、この時間は事業見直しの時間であり、ツアー観光事業を強化する時間であり、自分がフィンランドの夏をちゃんと楽しむ時間でもある。
なぜかというと、去年の夏はツアー事業でほぼ無休で働いてた。
もちろん、ツアーなので、毎日森に入り、サウナを楽しんでいたが、プライベートで楽しむことがほとんどなかったからだ。
そのため、今年は日本との国境が開かれるまでに存分にフィンランドの夏と大自然を楽しもうと決めた。
一泊のキャンピング、50キロ離れた町へ自転車日帰りの旅、国立公園へ2泊のキャンピング。
これらは5~6月に実行済み。
7月にはフィンランド南西部の群島250キロを自転車で回る旅(キャンピング含む)、9月にはラップランドへ1週間のハイキングも行きたい。
ラップランドのハイキングは大自然が好きな私にとっては夢のような旅。
北緯68度!
アジアでいうとモンゴルの遥かに来た、シベリアに該当する緯度。
北米でいうとアラスカ。
そんな北極圏内を1週間もハイキングするなんて。
実行したい。やりたい。今年に。
はい、そろそろ本題に戻ろう。
最近よく思うことがある。
人間というのはよく理性で考え、判断するが、感性や感情に行動が従うことが多い。
例えば、人種差別の話ではないけど、海外にいると、同じ人種の間にやはり親近感が生まれやすい。
中国人、韓国人、日本人がフィンランドにいれば、やはりアフリカ人とよりは仲良くなりやすい。
言語が違うが、文化は比較的に近いから。
そこから安心感が生まれ、親近感もついてくる。
しかし、理性の面から見れば、人種、国籍、性別に関係なく、誰でも平等であるはず。
法律でもそのように定められている。
でも、誰かと仲良くしたいと思うときに、そのような理性的な平等は感情に勝つことができない。
理性では白人でも黒人でも東洋人でも平等に接するべきと思うが、行動はそうにもならないわけだ。
同じように、「正しいことを言うこと」と「人間の感情に害さずに言う」のも実に正反対な技術である。
正しいことを言うのは理性的な考え方で、理屈を詰めれば真実に近づき、正しいことがわかり、正しいことが言える。
しかし、多くの場合、真実や正しいことは人間の感情に害するものだ。
そして、人間は感情的に害されると嫌がる生物である。
いくら言われたことが正しくても聞く耳を持たず、仲良くできないものだ。
このように、理性と感性は実に正反対なものであり、意識しないと自分のことや他人のことが理解できなくなる。
意識して自分の考えや行動、他人の考えや行動を観察してみよう。