「自分の死」を意識したことありますか?
難病や不治の病にかかったことがない人にとってはとても難しいことでしょう。
なぜなら、身の回りにそのような人がいなければ、自分の死に対して意識するきっかけ自体存在しないですから。
あの友達は毎日会社に行き、夜は飲み会。それで毎日を過ごしている。
あの知り合いは子育てで毎日が忙しい。
道で見たあの清掃員は毎日このフロアを掃除している。
毎日目に入る人のほとんどは健常者で不自由なく過ごしている。
だから、自分が健常者で不自由なく過ごすことが「普通」「当たり前」と勘違いしてしまうでしょう。
しかし、今日生きてるからって、明日も生きていける保証はどこにもありません。
両手両足が付いていて、病院に通院する必要がなく、治療を受けないと生きていけないこともなく生きていることはどれだけ幸せなことかを認識するにはやはり「自分の死」を意識しないとできないと筆者は思います。
「自分の死を意識しながら生きる」ことです。
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ただ毎日同じことを淡々と繰り返して生きていくことももちろんできます。
今日があるように、明日も当たり前のようにやってくると思いながら生きる。
ほとんどの人はそういうふうに生きているのではないでしょうか。
気が付いたら、自分に残された時間が思ったよりもずっと短いことに気付き、もう間に合わない、なんでもっと毎日を大事にしてこなかったと後悔します。
そうなったらもう手遅れで、後悔しかない人生になるでしょう。
あなたの見えないところで、そういう人がたくさんいます。
週に何回も病院通わないと生きていけない人。
つらい治療を受け、病気と闘いながらも、明日がやって来る保証が得られない人。
もっと生きたいのに、残された時間と気力がほとんどない人。
あなたは自分の死を意識しながら、今を過ごしていますか?