私の日本:(6)研究とは?

By | 2014/08/15

2年間の研究生活も非常に充実だった。

実は私の所属した研究室はちょっと特殊だった。

教授は韓国籍の先生だったので、研究室にいる学生や研究員は他の研究室よりも多国籍だった。いや、外国籍の人数は日本籍より多かった。

私の入った2006年夏にちょうどサッカーのワールドカップが開催された。(そういうと、ワールドカップを3回も日本で見たぜ!2006年、2010年、2014年!)

研究室にはフランス人、オランダ人、スウェーデン人、日本人、韓国人と台湾人の私がいて、私だけ自分の国を応援できなくてちょっと寂しかった。それでも、皆が毎日のように研究室にプロジェクターを出してテレビに繋げて大スクリーンで「一緒に」盛り上がって「各自の」国を応援してたことを見るだけでも面白かった。

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こういうメンバー構成なので、研究室では意外と英語でも通じてた。日本語の練習はあまりできなかったが。。。

在籍の2年間には世界中から来られた優秀な研究員方に接することができて非常に成長が大きかった。

個人によって違うと思うが、台湾や東アジアで修士を取る人は研究を勉強するより学歴がほしいという要素が強いと思う。まあ、私がそうだった。

なので、研究に対する情熱は非常に弱い。もはやゼロに近かった。

でも、海外からの優秀な研究員が研究している真剣な姿や新しい発見を見つけた時に興奮した表情を見ると、自分にはまだまだ先が遠いと感じた。

2年の勉強で「知らないことをどうすれば知ることができるか」が少しわかったというところが一番の成長だった。

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この成長を自分なりに理解したことに言い換えさせてもらうと、「研究は真理を突き詰めるためのもの」だと思う。

このように、勉強、研究、実験、サークル、スポート、旅行、文化体験など色々やって、ちょっとだけ時間が経つと、未来を考えなければいけなくなった。

ちなみに、自慢話で申し訳ないが、卒業する際に研究室の事務官から非常に嬉しい一言を頂いた。「Chengさんをこの研究室に残せなかったのは研究室の失敗だ」色んな意味が含まれると思うが、凄く嬉しかった。

続く。

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