健全な頑張り方

By | 2016/03/01

 

3月月初からの記事!このブログでは珍しいこと!

最近のいくつかのできことによって自分の時間の使い方は実に下手じゃないかと気づいた。

自分の時間管理はうまいほうと思っていた。

効率的に使うとか。

無駄せずに使うとか。

確か効率的に時間を使えるほう、無駄せずに時間を使えるほうの人間だと思う。

しかし、一つの盲点があった。

自分の時間管理がうまいのは「時間・期間が決まっている」という前提がある場合に限るのだ。

走ることを例に例えるとわかりやすい。

100メートル走であれば最初から最後まで全力で走るのが基本。

3000メートル走であれば、体力を配分して途中で力尽かないように走るのが大事。

これらには距離(時間・期間)が決まっている。

じゃ、目標距離のわからない長距離マラソンはどう走ればいい?

今になって考えると簡単さ。

いつまでも走れるように体力配分するのがカギだろう。

起業もそうじゃないだろうか?

「がむしゃらに働く」

「死ぬほど働く」

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というのは起業家の大先輩らからよく聞く話だ。

寝る時間と食べる時間を削るまで働くってことだろう。(私はそう思った)

事業が軌道に乗せるまでに全速で走らないと離陸できないという話もよく聞く。

それってどういう走り方をしているのだろうか?

100メートル走?1000メートル走?5000メートル走?それ以上の距離?

100メートル走のような走り方じゃないかな?

果たして毎日100メートル走の走り方で1年や2年に渡って生産性の最大化を維持できるのだろうか?

人によって違うと思う。

自分の過去の経験を思い出してみた。

日本への奨学金を勝ち取ったのは毎日コツコツの努力だ。

しかし、その時に実行したのは「毎日」ではなく、「週に6日間」だ。週には一日休む。何をしてもいいような日を設けていた。

そして、毎週の6日間にも「調整タイム」を設けている。つまり、週に4時間ほど勉強の予定を予め入れずにして勉強が予定に追い付かない時にカバーするに使う時間だ。

勉強が追い付いていたら自由時間にするという時間枠があった。(もちろん毎週自由時間になるなら週間の勉強量を増やすように調整するが)

日本でサラリーマンをやりながら留学を準備していた時もそのような決まりがあった。

仕事は基本平日の9時から19時までで、勉強に使う時間は朝6時半~9時と夜20時~22時くらいしかない。

もちろん週末は勉強につぎ込む。

しかし、一つだけ決まっていた。

「家にいる時は働かない。勉強しない」という決まりだった。

今になって考えるとこの決まりがあったから1年もよく続けられた理由だったかもしれない。

じゃ、起業した今の時間配分は?

「ある時間は全部働く」

それだけ。

時間配分が極めて単純で簡単。

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そして、「働く時間の最大化=生産性の最大化」という間違いを今まで見破れなかった。

そして、「働き時間の最大化=最適な起業の仕方」という間違いもした。

今更だが、違うと思う。

何メートルが分からない長距離走だからこそ、明日も、来週も来月も来年も適切なスピードで走れるように体力配分をすべきではないだろうか?

やることが多くていつまでもやり切れないこそからだ。

「最大化」というのは非常に曖昧で危険な考え方だと思う。

ある時間を「全部」使って働くと考えると、いつまでどれを完成させるべきかを「考えなくなる」

なぜかというと、「どうせ今日完成しても明日完成しても別に何も変わらない」と考えてしまうからだ。(どうせ報酬が同じならば一生懸命働く必要ないよねみたいな心理的な働き)

もう一つは「自分はある時間を全部仕事に使っているからもう十分頑張っているのだ」と「時間さえ仕事に使っていればいい」という危うい考え方になってしまう。

このような考え方から脱出するには「働く時間を決める」ことだと思う。

今日やること、明日やることを一つずつ使用時間を予想し、高い効率で終わらせれば余剰時間を自由に使えるシステムにすれば自分への報酬が変わり、効率も上がるかもしれない。

週に6日間働くとし、一日10時間で計算すると働く時間は週に60時間だ。

それ以外の時間は運動、人間関係、休息など自由に使えるようにする。

強制的でも自分に運動させるべき、休息させるべき、友達に会わせるべきと思う。

「心理的な健康」や「身体的な健康」を保てないなら起業しても成功した人生はないと思う。

起業家の先輩から見るとただの弱腰で言い訳に聞こえるかもしれない。

通常の企業勤務でも起業でも重要なのは「生産性の確保」であり、「労働時間の最大化」ではない。

そして起業生活において重要なのは「生産性」であり、「起業家らしい働き方」ではない。

上司がいないからこそここは見失ってはいけない。

 

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2 thoughts on “健全な頑張り方

  1. KATO

    起業家にとって最も重要なのは「結果」。
    起業家は努力やプロセスでは評価されない。
    我々起業家に求められているのは事業の成果としての結果のみ。

    誰かが作ったテストを受ける受験生や、すでにある仕組みを回すことで社内の誰かに評価されるサラリーマンとは、(その尊厳に差はないが)やるべき事が違う。

    どんなやり方でも事業として成果が出る事、つまり何らかの形で資金を得られ続ける事がまず必要で、そこが最低限の及第点であって、そうで無いなら起業家としては失格ということ。

    結果の為にあらゆる事をすべきだが、
    事業そのものを作り変えるというレイヤーの事象も、作業時間を確保するための身辺整理というレイヤーの事象も、毎日夜9時には寝るというレイヤーの事象も、それ自体に価値は無く、起業家にとっては結果を出す為のツールに過ぎない。

    全ての時間を使って働くかどうかは起業家にとって重要では無い。どちらでも良い。
    起業家にとって、期限が無いからモチベーションが下がる、生産性が下がる、という事は起きようが無い。実際には時間は限られている。

    ダラダラ作業してしまうのは、時間が限られていないからではなくて、執着すべき結果が見えていないか、現在設定している結果に自分自身が魅力を感じていないからではないか。

    Reply
  2. tei Post author

    KATOさん

    コメント頂き、ありがとうございます。
    お互い知り合ってから長いし、KATOさんの起業を見てきた一人として、コメントに書いて頂いた話も初めてじゃないと思います。

    起業家に求められるのは「成果」であることは一日も忘れたことがありません。成果の出せない起業家はクズであることを常に肝に銘じています。

    しかし、KATOさんにあるようなレベル「執着心」と「情熱」は私にありません。そう、それほどはありません。

    自分の人生は「やりたいことを徹底的にやってみた」ことで構成されてきています。日本への留学も、ヨーロッパへの留学も、起業も、今の事業の成長においてもすべて同じです。どれに対しても「どうしても手に入れたいと思うほど強烈な執着心」はありません。どれに対しても「どうしてもほしいと思うほど強烈な魅力」と感じておりません。「やりたいからやってみる」、「やるからには悔いの残らないやり方で徹底的にやる」だけです。

    そのため、「結果に対する執着心」や「魅力のある目標の設定」は私自身に当てはまらないと思いました。
    言い換えると、当てはめようとすると、うまくいかないと思います。

    じゃ、自分の起業してから過去の8か月を振り返ってみると、自分に「やりたいことはやってみたか?」、「やりたいことを徹底的にやってみたか?」と問うと、前者は「はい」の回答だが、後者は「いや、徹底的にまで言えない」と自分からの回答がはっきりしているので、「やりたいことを徹底的にやる」ようなやり方に変えるため、本文「健全な頑張り方」を書いたわけです。

    また、日本への留学試験にしろ、ヨーロッパへの留学準備にしろ、起業にしろ、どれも私は同じだと思います。「結果」が出なければ、何を何年やったって周りから見ても社会から見ても市場から見てもクズはクズって事実に違いありません。しかし、「自分の人生」という角度から見直してみると、日本への留学試験が失敗しても、ヨーロッパへの留学が失敗しても、起業が失敗しても、「やりたいことを徹底的にやり切ったから悔いのない人生を過ごせる」という私にとって最強でこれ以上にない幸せな人生の過ごし方が手に入るので、その「やりたいことを徹底的にやり切るプロセス」が自分にとって何よりも大事です。

    自分の人生における価値観ははっきり形成していますので、芯が強く、人生における選択をする時に何の迷いもありません。しかし、起業における価値観は形成中ですので迷いもたくさんあります。KATOさんからも他の起業家の先輩からの考え方をいつも大切な参考とし、自分の起業のおける価値観を自分なりに築いています。いつも貴重な意見、ありがとうございます。

    Reply

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