サラリーマンの時代に、ある日私は自分の名刺を見ていました。そこには会社の名前、部署の名前、私のタイトルと私の名前があります。私の給与明細にも会社の名前、自分の名前と数字があります。
あの日、私は会社から帰宅している途中でいつもの通り東京駅で総武線快速に乗り、新小岩駅で各停の中央総武線に乗り換えようとしていました。10月の涼しい風が顔に当てて気持ち良かったです。
もし会社の名前を取り除き、部署の名前もタイトルをなくしたら、私の名前、私の頭と私の手はどのくらいの数字になるだろう?その答えを知りたいです。事実を知りたいです。そのため、私は貯金し、五年後に北欧で小さな会社を立ち上げました。
結果は非常に簡単:悲惨。
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台湾の有名校の学歴、日本トップの学歴、つい最近にあった格好いいタイトルなどすべての意味がなくなりました。もちろんお客様には素晴らしい資料を作って見せることができ、あなたのすごい背景条件や能力を示すことができます。しかし、それはどんな意味があるのでしょうか。あなたのお客様はそれを望んでいるでしょうか。もしかしたらあなたのお客様が気になるのはそんなことより、あなたが彼らのためにどのくらい金を稼いでくれるかということではないだろうか。
学歴、職歴、会社の名前、タイトル、給料、言語能力、豪華な車、大きいな家、ブランド品の服や腕時計などは「個人のブランド」と言えるでしょう。
ブランドはメッセージを伝えるに非常に有効な方法のひとつです。例えば、人に自分がいかに優秀か、いかに努力してきたか、いかに金を持っているかを伝えることができるでしょう。他に情報の信頼性を上げる効果もあります。
会社が人を取るときも当然学歴と職歴を見ます。それで一人の背景を有効に理解することができ、不適合な人を取ってしまうリスクを抑えます。会社の採用活動だけではなく、我々が新しい友たちを知るプロセスにおいてもその方の経歴や出身などを聞くことも同じです。
しかし、同じブランド情報であっても、「必要最低限の条件で自分のブランド情報を伝える」ことと必要ない状態でわざと自分のブランド情報を伝える」ことはどのように違いますでしょうか。
実は、この記事もブランドの一つです。なぜなら、私の名前はこの記事の一番下に出てきます。この記事が掲載されたら、この記事は私にブランド効果をもたらしてくれます。それは、「私はこのメディアで記事を書いているよ!すごいでしょう!君らと違うよ!」を言っていることに近いからです。
でも私は心の底でよくわかっています。もしかしたらあなたもわかっています。本当にすごい人は自分で自分のブランド情報を言う必要もないことを。本当にすごい人のすごさやブランド情報は他人の口で他のチャンネルで広まります。
では、なぜ我々は急いでいるように他人に自分のすごさ、自分のブランド情報を伝えようとしている(或いはわざとちょっと漏らす)のでしょう?
それは、自分の心の中に「劣等感」があるからです。(或いは「社会に認めてほしい欲望」という)
我々は自分のことをよくわかっている。自分はそれほどすごくないこと、それほど影響力がないこと、自分が期待しているほど社会に認められていないこと。だから、自分の劣等感を少しでも忘れるよう、必要もないのにわざと自分のいい学歴を言う、自分の会社の名前を言う、タイトルを言う、人によって給料の数字までいう。
それで勝手に期待します。誰か褒めてくれるだろうと。誰か羨ましい目で見てくれるだろうと。自分はそれで心の底にある劣等感を暫く忘れることができるだろうと。
皮肉的でしょう。その必要のない前提で自分のブランド情報を言い出す人は、自分の社会地位を高く見せると同時にこういうことも言っています。「私の心は満たしておらず、劣等感さえ感じているのだ」と。
たぶん、人に対する「ブランド」が影響するかどうかの一線は「自分が本当にほしい人生は何かを知っているかどうか」にあるのではないだろうか。
たぶん、自分が自分の目標を知っていて、自分が自分のほしい生活をしていて、今のやっていることは絶対未来の自分に後悔させないと分かれば、それらの「ブランド」を気にする理由もなくなるでしょう。
これは難しいでしょう。でも、人生はもともと簡単ではありません。
自分の本当にやりたいことを見つけるのは難しいです。社会の流れに流されないのも難しいです。心の底にある劣等感をなくすのも決して簡単ではありません。
もともとこの世にも何か決まった答えがあるわけではありません。
でも、たぶん、あなたには少なからず少しは選ぶチャンスがあるでしょう。今の生活を続けるか、新しいチャンスを取るか。今のやっていることを続けるか、違うことをするか。今の目標を追い続けるか、新しい冒険を始めるか、など。
最後、この記事の目的は見せびらかしを批判することではなく、全てを捨てて夢を追ってほしいわけでもありません。この記事の目的は、少しだけタイミングを読者に与えたいです。少し自分の人生の価値がどこにあるかということを考える時間とタイミングをこの記事と共に少し持ってほしいです。