必要なのは戦略と努力。
戦略(1)松下電機奨学金の受験資格は理系限定のため、日本語を専門として勉強してきた有名大学の日本語学科の学生を除外できる。
戦略(2)枠が年間2名しかないので、受かる確率が低いと思われがちで応募人数も少なく、競争に勝ちやすい。
戦略(3)枠が少ないということで留学試験専門塾がこの試験の対策講座を開設していない。高い学費を払えるリソース優勢の学生を競争から除外できる。
戦略(4)筆記試験と面接に最大限の対策と準備を取る。一年がけで。
当時の筆記試験は中国語、英語、日本語、微積分の4科目。面接は面接。
これ以上の情報がない。
過去試験問題集も当然ない。
なので、試験対策は完全自分でやる。
まず、中国語は私の弱点であり、今更勉強して伸ばしてもメリットが少ない。
なので、対策なしで切り捨てると決めた。
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微積分は数学なので、理科の私にとってめんどくさいと思うが、怖くはなかった。微積分の説明と問題集を2冊図書館で見つかり、一年間で、主要問題の3百問を3回繰り返しもやれば、受けてみるという気持ちで来る競争者を圧勝できるだろうと思った。
実際、結果もそうなった。
英語は実力強化をベースとした。
リスニング、スピーキング、リーディング、ライティングを合計週10時間程度でやっていた。
過去も今もやっていることを。
最後、最も大変で突き進むべき科目は日本語だった。
筆記試験はもちろん、面接も流暢な日本語で臨めないと2名の枠に入る勝算はない。
一年の時間の6割を日本語に費やした。単語本3冊、図書館にある和書、日本語のネットラジオ、日本人と時間交換でお互いに中国語と日本語を教えたり会話したり作文をチェックしたりする練習もした。
このように文字に書き残すのは簡単で、これ以上のことでもない。
戦略を練ってたくさんのことをこなすのも最も難しいことではなかった。
最も大変で難しいのは、自分と同じことをやっている人が周りに一人もない中で、毎日心に残る拭き切れない不安を抑えながら、自分のやっていることが正しく、これが自分の本当に欲しいことを想い続け、自分は成功すると信じ続けることだった。
自分との戦いだった。
そして、一年半後の2006年春、私は日本に来た。
夢を叶えた。
嬉しかった。
幸せだった。
※両親に最大の感謝をしたい。私のことを支えてくれ、無職にもかかわらず食費と交通費をくださった。応援してくれてありがとうございます!
※写真はニュージーランドのケップラトレックです。