黒沢一樹さん
壮絶と堂々と言える人生を過ごされてきた方。
「貧乏」、「冷蔵庫に物がない」
幼年期は生きるため、妹とじゃんけんして今日誰がスーパーに万引きに行くかを決めてやる以外、生きる方法がなかった。
父は酒飲んで暴れ、包丁で平気に刺してくる。。。
福祉関係の人から「夢と希望を持って」と言われるけど、最後には「家に帰りたいでしょう」と言われ、ただ帰したいだけ。
「夢や希望なんてはクソだった」
食べることで精一杯なんだよと。
五階から飛び降りて自殺しようとしたが、バイクのタンクに当たり、何もないように歩いて帰宅。
緑の液体(胆汁だそうだ)を吐いて医師に一週間しか生きれないと言われたが、一週間で退院。
(レアケースで医師に論文を書かせてくれと言われるほど)
「死なないことは、自分は生きてやるべきことがある」と。
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18歳にカバン一つで上京し、街のお姉さんに三日間ご馳走してもらい、幼馴染に一晩泊まらせてと言って半年泊まったと激変の人生を面白く、楽しく語っていた。
2回の事業失敗、50社の転職経験。
ただし、年齢は私と同じ。
今はNPO法人若者就職支援協会を立ち上げたり、仕事をされています。
波乱万丈の人生が徐々に人に認められ、本の出版や講演を誘われ、今の仕事に繋がる。
もう一つ。
「誰もやらないことをやる。価値があるものだったらいつか金がついてくる。続けていくとすごいと思われるようになる。」
と私も強く共感。
「最悪な状況以外は全て幸せ」と。
広瀬真之介さん
自称:うつヒモニート(笑)
と彼が笑いながら30人の前で話していた。
株式会社小石川 社長、デジハリ田舎実験室 代表
大学四年の時にうつ。
激務ベンチャーに就職の同時に大学院勉強。
当たり前のようにうつ再発。
ひきこもり。
ニート。
ヒモ。
主夫。
地域団体リハビリ。
起業家。
そして、心身を壊し。
事業譲渡。
多重債務。
という。。。誰もが羨むことのない道を歩んでこられた。
「一回死んだと思えば、今はボーナスの人生。いつ死んでもいいよ、あはは(笑)と思ったら気楽に生きていける。」
「うつ、自分の中にどこか自分のことをゴミ、クズ、うんこ製造機と思っている。が、色んな障害を負う人に会うと自分が自分のことをクズと思う理由がバカバカしくなり、生きる力を得られた。」
という、私の中に存在していない価値観と考え方だった。
四人の共通点は?
続く。