再び月末の記事大量掲載!実はいつも記事を書いているけど、なかなか翻訳する時間もなく。。。
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仕事山積みだけど、やはりバス乗ってる時に一番自分の考えをまとめるにいいタイミングだな。
今は再びフィンランドの田舎町から首都ヘルシンキに向かう3時間半かかるバスに乗っている。
今年最後の大型(4日間以上)出張だ。
今回は起業家と投資家ばかり集まる参加者15000人規模のSLUSHだ。
幸運を祈ってくれ!
さて、今回の本題に。
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私が自分の現在の事業の元になるビジネスアイディアを考え始めるのは今年の2月だが、会社を作ったのは今年の6月24日だった。
数えると起業してから4ヶ月半経ったのだ。
なぜこのタイミングで書きたいのかというと、最初の3ヶ月って心境の変化があまり感じなかったからだ。
じゃ、どういう変化があったかというと、主に2つがある。
ついでにずっと変化しなかったこともひとつ話そう!
一つ目は変化は無知への恐怖に対応できるようになった。
ここでの無知というものは起業に対する無知でもなく、自分の向かうべき方向に対する無知でもない。単純に自分の入ろうとする業界への無知だ。うん、スマホゲーム業界が知らなすぎる。
起業家のみんなは同じことに直面するだろう。
しかし私はその無知へ恐怖を覚える。
一番大きいな理由は、ゲーム業者へマーケティングサービスを提供するのに、ちゃんと内容のある話ができない。
となると自信を失ってしまう。
それでまた次のお客様を探して話しかけることに戸惑うのだ。
そして、「結局みんななんだかんだこの業界で何年も経験あるから、俺って話にならんな」という結論になってしまうとモチベーションが下がり、動きが遅くなってしまう。
逃げたくなるんだ。
時間的に9月上旬に初めてゲームカンファレンスに参加し、いくつかのゲーム事業者さんと話した頃だった。
今はその無知への恐怖がなくなりつつあり、モチベーションも完全に戻ってきた。
(これで起業家の第一関門をクリアしたと言えるのかな?)
(起業家先輩から言われると、たぶん「お前はまだまだ早いよ」って言われるだろうな)
なぜそうなることができたのか?
それはやるべきことを遅くなってもやり続けたことだと私は思う。
恐怖を覚えながらも、モチベーションが下がっても、動きが遅くなっても、毎日サボる時間が増えても続けたんだ。
それで少しずつ少しずつ市場に対する知識を増やし、少しずつゲーム開発事業者さんと話してみた。
そして9月から2ヶ月経った今、当然知識はまだまだ完全に全然足りないけど、ゲーム開発事業者さんの話、中心になる内容とかはなんとなくわかってきて自分の提供できるもの、話し方などが徐々にできるようになって慣れてきた。
(話し方って言うのは簡単だけど、すごく難しい。自信を持ちながら持ち過ぎないように。できることが魅力ありそうに見せながら信じてもらえるように。これはいかに難しく、繰り返して練り直しながら練習することが大事だ)
そして、自分のやるべきことも数ヶ月前よりはっきりなってきた。
ヨーロッパのゲーム開発事業者をたくさん知り、情報を頂き、それを価値ある情報として日本のパトナーに伝える。
ヨーロッパのゲーム開発事業者をよりたくさん知ることで価値のある情報の量も増え、この価値のある情報を用いて日本でこの情報知りたがるパトナーを増やす。
日本でのパトナーを増やせれ、この価値のあるパトナー関係を用いて更に多くのヨーロッパのゲーム開発事業者を知る若しくは関係を縮めることができる。
なので、ずっとやって行ければゲーム開発事業者も日本のパトナーも増え、私のやることに、提供する情報に価値がどんどん増えていく仕組みになるのだ。
この全ては、「遅くても少しずつでもやり続ける」ことから生まれたのだ。
心境的な変化を言うと、逃げたい気持ちが結構なくなった。
続く。