離れるということは?(1)

By | 2014/06/20

いよいよまた離れる。東京・日本から。

母国語にはある言葉がある。

「天下沒有不散的筵席」

意味は、「世界には終わる晩餐がない」ということで、「何事でも必ず終わる時が来る」と言うことを指している。

台湾、そして地元の台南でずっと生活してきた。

子供の時、小学校、中学校、高校、大学と23年もその地で生きてきた。

文化や年中行事は当たり前のようになって、毎年繰り返しのように過ごしてきた。

もちろん、長く同じ地にいると、長期的な変化もわかってくる。

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小学校の時に家の周りは田んぼなかりだったが、今は住宅に埋まれている。

その土地、そこの人々を知りすぎて違うものを求めて離れた。

親友たちから離れること以外、寂しくなかった。

その時にあるのは、新しい世界に求めるドキドキしかなかった。

ニュージーランドへの3ヶ月のワーキングホリデーは実に楽しかった。

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今になって振り返って考えると、その時は単純に未来がはっきりなっていて、生活に支障もなく、新しい楽しみもあれば、幸せが自然にやってくるだろうと思えた。

観光の町にいたせいか、人々は常に来たり去ったりしているせいか、長くいなかったかせいか、離れた時に寂しくなかった。

東京、今はもう8年4ヶ月もいる都市だ。

続く。

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