人生は選択によって自分に作られてきたものである
なかなか気づかないようだが、まぎれなく事実である。
もちろん、一部の人間は生きるだけで自分の全てを捧げなければいけないこともある。
戦争中の環境であったり、自由のない社会であったり。
ただし、それらの状況以外の人々、日本や台湾にいる我らのほとんどは多くの選択の自由を有している。
それは単純に今日のご飯を何にするかではなく、自分がどういう人生がほしいかによって毎日やっていることである。
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自分の選択によって時間の使い方が違う。
テレビを見る。
寝る。
本を読む。
人々に会う。
英語を勉強する。
ショッピングする。
美味しいパンケーキを食べる。
そう、自分の時間の使い方。つまり、時間をどう使うという決め方で自分の人生が決まるんだ。
本を読まなかったら自分の価値観が強固にならず、未だに自分の未来を迷っているかもしれない。
色んな事をやってみようとしなかったら、何が一番自分にあるかも知らずに自分の本当にやりたいことは何かを同じく迷っていることになるのだろう。
日本語を特に理由なく大学入学時に適当な勉強でもしなかったら、今日本にいてこのように日本語の文書を書くこともないだろう。
これらは全て自分の選択による結果である。
そして、これらの結果を組み合わせれば、私の人生になる。
続く。