今日久々早起きできて朝7時開店の大手町にあるスタバに来てこの記事を書いている。
ふっと気付いたら、日本を離れるのは既に2ヶ月を切った。(実はシリーズ全て完成したのは8月9日だ)
欧州への留学が決まったら、全てが一気に加速したような気がする。(欧州留学の夢復活)
そして、8年も住んでいた日本・東京をもうすぐ離れると考えるとなんだか寂しい感じがする。
最近台湾に遊びに1週間とか帰省してまた日本に戻ると、電車に乗って成田空港を出るといつもこう感じる。
「ああ、帰ってきたな。。。使い慣れた日本語と日本にある私の生活だ」
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と逆に故郷に戻ってきた安心感が湧いてくる。
こんな慣れきった国・都市・町・生活・人々を離れてしまう前にこのブログにその思い出を留めておきたい。関係する人にとって意味のある情報として残したい。
そして、今日はその序章である。
日本に来ることができたきっかけは留学の奨学金を獲得できたからだ。この話について既に前に書いてあった。(留学 夢への一歩一歩(1)、留学 夢への一歩一歩(2))
記憶が蘇る。
2005年の夏、奨学金が決まり、喜びの末学校と研究室を探し始めなければいけない。
研究したい分野(私の場合は工学系のマイクロテクノロジー、MEMSと言う分野)を決め、関係する研究室をネットで探し始めた。
関係性の高い研究室を数個の候補を見つけた。
そして、東京にある某大学の教授にメールを送った。
私の自己紹介、出身、大学学位名、成績、奨学金の獲得を連絡し、非正式学生である研究生としての研究室入籍を打診した。
返信をドキドキ待ちながらも翌日の朝四時にすぐOKの返事が来た。非常に順調な船出となった。2005年の秋だった。
そして、良く覚えている。2006年3月15日に日本に来た。同じ奨学金を取った友人と二人で来た。
荷物は35キロ(スーツケースを含めて鞄は4つ)、天候は曇り時々雨、気温は15度。台湾人(台南人)にとって真冬の気温だった。
予約した東京都心の地下鉄大江戸線の蔵前駅という浅草に近い格安(2,000円/日)の台湾人オーナー民宿に入って初日を過ごした。
翌日慣れていないスーツを着てまずは研究室に先生に日本到着のあいさつをしに行った。
その後、アパート探し。
続く。