問題はどこにある?
この国、この社会、企業、親が学生に求めているものは何だろう?
日本か台湾の場合は「学歴、試験点数、学年順位」ではないでしょうか。
教育のプロセスで生徒に試験を受けさせ、点数をつけ、順位をつけ、結果的に学歴ブランドを点数の高い人に付ける。点数の低い人にが学歴のブランドを付けることができず、そのまま大人になって社会に入り、更なる個人競争を強いられる。
フィンランドの場合は「能力」
教育のプロセスで生徒に練習させ、新しい方法を使わせ、少しでも勉強することを諦めないようになってもらう。結果的に生徒の全体的な能力が伸び、勉強することを苦痛と思わずに勉強を続ける人が少しでも多くなる。
では、ここで明らかな質問を問います。
社会福利、社会保障や気候環境などの条件を置いといて、どちらの国の生徒が幸せになりやすいでしょうか。
どちらの社会が幸せを感じやすいでしょうか。
あなたにはそれなりの答えがあると筆者は思います。
教育のプロセスに問題があるとしたら、多くの人はまず教師にその責任を問うかもしれない。
それだけではない。
社会全体にその責任がある。
そう、あなたにもその責任があります。
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企業は学歴ブランドを中心に学生を採用することに問題ないか?
教師を採用するプロセスや条件に問題ないか?
生徒を評価する方法に問題ないのか?
子供の学歴は子供の幸せに100%繋がると思っている親に問題ないか?
多くの企業は採用効率を重視し、まず学歴で学生を選別する。
「しょうがないよ。うちに毎年数千も数万人の応募が来るもん。一人ずつ見てらんないよ」と採用担当が言うかも。
「しょうがないよ。変によその大学の学生を採って失敗するよりも、有名大学の学生を採って失敗するほうが俺の責任が追及されないからな」とか。
こんな会社の社長さん、能力で選別することができないでしょうか?考えてみることはできないでしょうか?
政府や教員は何を目指して生徒に教えているか?
点数か?学歴か?幸せの手に入れるために自分の能力を高める方法か?
「しょうがないよ。大学入学には高い点数(進学率、偏差値)を取ることが必要だもん」
「しょうがないよ。中高生が幸せを理解することは難しいだろう。まず学歴を確保させてからのほうが全体的にいいじゃないの?」
それが生徒に一番いい教育だと思っているのでしょうか。
それで少しでも変化をもたらし、良くしていくことを諦めますか?
教育の最前線にいるあなたが。
親はどうだろう?
「いい大学に入ってほしい」、「公務員や大企業の社員など安定した職に就いてほしい」と思っていないか?
それで、ただその責任を学校に押し付けていませんか?
子供の成績しか見てないことはないでしょうか?
子供の幸せを保証するものは成績か?学歴か?年収か?
或いは、自分の能力を自ら高め、幸せを自ら探し、求める力か?
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